レッテル

ソーシャルブックマークとか、ネット上の日記とか掲示板とか見ていて思ったこと。

レッテルを貼られるのは嫌がるくせに、レッテルを貼るのは好きなんだな。

という事。

まぁ、でも、レッテルを貼るという行為は一種の防衛本能であるわけで、だから何というわけではない。

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自信とは

自信とは

自分にできること

自分にできないこと

を知っているという事。

自信が無いということは、まだ自分をあまり知らないということ。

自信はあるが具体的に何なのかがわからないという状態は、ただの妄信。

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失敗した時

失敗した時は

「失敗する方法が分かった。」

と思えれば儲けもの。

次はきっと違う失敗をするか成功するだけである。

失敗を重ねれば、それだけ成功に近づくのだ。(と思いたい。)

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揶揄するのがブーム?

最近は、自分と違う価値観を持った人や行動について揶揄することで安心する事がブームなのかな。

疲れないのかな。とか、

ストレスたまっているのかな。とか、

狭くて息苦しくないのかな。とか、

ちょっと心配してみたり。

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むしろ蛍光灯よりCO2とその他の物質の排出を促進するキャンドルナイトをするくらいなら

LEDを使って、LEDナイトにでもしてみたらどうだろうか。

「電気を消して、スローな夜に。」

ではなく、

「LEDを使って、スローな夜に。」

と思ったんだけど、

LEDナイトよりも、さっさと早く寝てしまえば、

「早く起きて、スローな朝を。」

になってこっちの方が良さそう。

追記:

指摘されましたので、キャンドルと蛍光灯の比較を。

電気は発電コスト。0.36kgCO2/kWh(電力会社のページによる)

ろうそくは、その時に燃焼した量です。

パルックボールは10Wなので、10時間つける(ろうそく一本の燃焼時間)と0.01kW×10h×0.367kg=0.0367kgで37g発生します。

ロウソクの場合はちょっとわからないので調べました。

下記引用です。(引用元を付記しました。)

主成分をパルミチン酸 CH3(CH2)14COOHとすると、分子量は256で炭素数は16であるから、完全燃焼すると二酸化炭素16分子ができ、分子量は 704(12×16+16×32)で、パルチミン酸1gに対し2.8g(1g×704÷256)の二酸化炭素ができる。仮にロウソク1個20gとすると、全部燃焼させると56gの二酸化炭素が発生する。

http://www.bekkoame.ne.jp/~mineki/candlenight.htm

実際には、すすになったりする炭素もあるので、もう少し少ないのですが(まぁすすも発生してほしくないのですが)、キャンドルナイトのHPにあるような状況(やたらとろうそく使っている。少なくとも10本以上は。)

http://www.candle-night.org/jp/

だと、パルックボールを使ってあげた方が、はるかに環境にも目にも優しそうです。

ちなみに、LEDを使うと電力も発熱量も少ないので、環境負荷はさらに低減すると思います。

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とはいえ、試みる姿勢が重要

一時的に、現状より後退しているように見えても、試みる姿勢が重要である。

掃除だって一旦、元より散らかるし。

そして短期的に評価してやめてしまうのではなく、短期的な評価によって微調整しながら全体としては、長期的な視野で評価する必要がある。

ゆとり教育にしろ、経済にしろ、政治にしろ、最近はどうも短期的な評価を過剰に取り入れているように見える。

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実力があっても生かせないのなら、会社にとっては実力が無いのと同じ

いろいろと、勿体ないけど、実力があってもそれを利用して仕事に生かせないのなら会社にとっては実力が無いのと同じだ。

炊飯する実力はあるのに炊飯ボタンが無い炊飯器のようなもん。

つまり、インタフェースが無くちゃ駄目だということ。

本当に実力がある人はちゃんと報われているはず。

ちなみに実力があるということと、知識が豊富ということは必ずしもイコールではない。

道具を持ってしまったばかりに、道具に使われちゃう人もいますからね。

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犯罪予告由来の犯罪なんて微々たるもの

犯罪予告由来の犯罪なんて微々たるもの。

そもそも、予告してから罪を犯すなんて、お人よしもいいところで、

「なんてネット上は平和なんだ。」

と思う。

ほとんどの犯罪は、予告なんてしないだろうし。

予告の大半は狂言であることが多い。

当たり前だけど、予告が無い犯罪のほうが防ぐのが難しい事は誰でも分かっているわけである。

その状況で、どうして「予告犯罪」と「ネットの危険性」を同じ文脈で語ろうとする記事があるのか疑問に思う。

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「友達は大切だよ。」は間違っている

昔から学校の先生は、特に小学校の先生は子供たちに

「友達は大切だよ。」とか「友達は一番の財産だ。」とか、ともすれば「自分」よりも「友達」の方が大切であると錯覚するぐらい教える。

まるで、「友達」のいない「自分」には価値が無いかのように教える。

だから「友達」がいない事で必要以上に悩んだり、「友達」を維持することばかりに意識が向いて「自分」を無くしてしまう人がいる。

必要以上に「空気」を読んで「自分」をないがしろにしてしまう人もいる。

でも、それは間違っている。

一番大切なのはいつだって「自分」である。

生きていくうえで「自分」にとって「自分」はいなくてはいけない存在だが、「友達」は確かに大切かもしれないが、いなくてはいけない存在ではない。

あくまで「友達」は「いたほうが良いかも。」くらいの気持ちでいるべきである。

そのほうが、常に「自分」を大切にしながら、「友達」は集まってくるだろうし、「友達」とも折り合いのついた良い関係が築けるのではないだろうか。

それに「友達」が全くいなくても「いたほうが良いかも。」という意識なので、特に悩む必要は無いだろう。

また、もし「空気」を読むことで「自分」を無くすなら読む必要は全く無い。

「自分」を大切にしていれば孤独を感じることは無いだろう。なぜなら「自分」の中に沢山の価値が詰まっている事を知っているからだ。

無理に「友達」を作ろうとして、無理に「友達」を維持しようとして、「自分」の中が孤独になっていませんか?

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