ブログ形式の弱点
日付が記事と同じくらい意味を持ってしまうこと。 人気のある古い記事は今も読まれるが、人気がない古い記事に人気が出ることは少ない。
日付が記事と同じくらい意味を持ってしまうこと。 人気のある古い記事は今も読まれるが、人気がない古い記事に人気が出ることは少ない。
自信とは 自分にできること 自分にできないこと を知っているという事。 自信が無いということは、まだ自分をあまり知らないということ。 自信はあるが具体的に何なのかがわからないという状態は、ただの妄信。
失敗した時は 「失敗する方法が分かった。」 と思えれば儲けもの。 次はきっと違う失敗をするか成功するだけである。 失敗を重ねれば、それだけ成功に近づくのだ。(と思いたい。)
最近は、自分と違う価値観を持った人や行動について揶揄することで安心する事がブームなのかな。 疲れないのかな。とか、 ストレスたまっているのかな。とか、 狭くて息苦しくないのかな。とか、 ちょっと心配してみたり。
LEDを使って、LEDナイトにでもしてみたらどうだろうか。 「電気を消して、スローな夜に。」 ではなく、 「LEDを使って、スローな夜に。」 と思ったんだけど、 LEDナイトよりも、さっさと早く寝てしまえば、 「早く起きて、スローな朝を。」 になってこっちの方が良さそう。
一時的に、現状より後退しているように見えても、試みる姿勢が重要である。 掃除だって一旦、元より散らかるし。 そして短期的に評価してやめてしまうのではなく、短期的な評価によって微調整しながら全体としては、長期的な視野で評価する必要がある。 ゆとり教育にしろ、経済にしろ、政治にしろ、最近はどうも短期的な評価を過剰に取り入 …
いろいろと、勿体ないけど、実力があってもそれを利用して仕事に生かせないのなら会社にとっては実力が無いのと同じだ。 炊飯する実力はあるのに炊飯ボタンが無い炊飯器のようなもん。 つまり、インタフェースが無くちゃ駄目だということ。 本当に実力がある人はちゃんと報われているはず。
犯罪予告由来の犯罪なんて微々たるもの。 そもそも、予告してから罪を犯すなんて、お人よしもいいところで、 「なんてネット上は平和なんだ。」 と思う。 ほとんどの犯罪は、予告なんてしないだろうし。 予告の大半は狂言であることが多い。 当たり前だけど、予告が無い犯罪のほうが防ぐのが難しい事は誰でも分かっているわけである。
大半は、「いやな思い出は忘れる」という機能によるものだと思うが、中には 「昔はいろいろな不都合が隠蔽されていて良かった。」 という人もいるだろう。
昔から学校の先生は、特に小学校の先生は子供たちに 「友達は大切だよ。」とか「友達は一番の財産だ。」とか、ともすれば「自分」よりも「友達」の方が大切であると錯覚するぐらい教える。 まるで、「友達」のいない「自分」には価値が無いかのように教える。 だから「友達」がいない事で必要以上に悩んだり、「友達」を維持することばかり …