なぜ、そんなに憤慨するの?
自分とはまったく関係ないような、むしろ私的な不適切な行動に対して、なぜそこまで憤慨出来るんだろうか。 そして、その数秒後には憤慨したことすら忘れている。 そんなことを人は何度も繰り返す。 まるで自分の欠陥を見せつけられている気になるのかもしれない。 もしくは、自分の欠陥を誤摩化せるだけの他人の欠陥を見つけたと思うのか …
自分とはまったく関係ないような、むしろ私的な不適切な行動に対して、なぜそこまで憤慨出来るんだろうか。 そして、その数秒後には憤慨したことすら忘れている。 そんなことを人は何度も繰り返す。 まるで自分の欠陥を見せつけられている気になるのかもしれない。 もしくは、自分の欠陥を誤摩化せるだけの他人の欠陥を見つけたと思うのか …
それを使ってしまうと、もうどうにもならないような最後の手に縋る前に、それがどんなに嫌な事だとしても、どんなに許せないことだとしても、それでも撤退できる場所があるならば一度撤退してみるのも良いのではないだろうか。 最短距離しか見えないというのは、結局、視野が狭いという事である。
あなたは成長するための時間を損している。
コンテンツを享受しておきながら、なにかと(自分をごまかす、もしくはごまかしたつもりになれる)理由をつけて対価を払わない人々だ。 そろそろコンテンツ泥棒から卒業しては、どうでしょうか。 よく聞く理由として、 ・お金払うくらいなら使わないから。 ・その価値が感じられない。
その間にあなたは成長できる。
イニシャルコストとイメージだけ重視してランニングコストを無視した、断熱材が薄くて、やたらと開口部の広い建物とかね。 そうそう、最近の例で言えば、内閣改造とかね。 一番大事で大変なのは、どう使いたいか、どう使っていくかであり、作るフェーズまでというのは、そのための準備期間でしかない。
何かを問われて、自分がそれを知らなかった時に慌てる必要はない。 一緒に調べるなり勉強するなりすればよい。
コンテンツを正当に購入している人たちに対する揶揄らしい。 やっぱり、コンテンツ泥棒の皆様が使っている言葉なのだろうか。 それにしても、ただ「非常識」なだけで「違法」ではないレベルのものを、とことん晒して叩くくせに、コンテンツ泥棒を晒して叩かない事がとても不思議である。
最近というか2000年にさしかかる頃から「オンラインとオフラインを区別しないでもっとシームレスに意識できないものかな。」と思っている。 もうテクノロジ的には充分可能なことが実現出来ていないか限定的にしか実現できていない。 例えば新しい校舎たてるくらいなら、その予算でオンライン小学校とか中学校とかでもよいはずだ。
ソーシャルブックマークとか、ネット上の日記とか掲示板とか見ていて思ったこと。 レッテルを貼られるのは嫌がるくせに、レッテルを貼るのは好きなんだな。 という事。 まぁ、でも、レッテルを貼るという行為は一種の防衛本能であるわけで、だから何というわけではない。