頭が空っぽの人はいない
あなたから見た、誰かの振舞いがまるで 「頭がからっぽな人」 「何も考えていない人」 のように見えても、それはきっと違う。 あなたが観察できるのはせいぜい、その誰かの目に見える振舞いのみで、頭の中まで観察できるわけではないのだ。 誰もがきっと、それなりに考えている。
あなたから見た、誰かの振舞いがまるで 「頭がからっぽな人」 「何も考えていない人」 のように見えても、それはきっと違う。 あなたが観察できるのはせいぜい、その誰かの目に見える振舞いのみで、頭の中まで観察できるわけではないのだ。 誰もがきっと、それなりに考えている。
キャパシティが狭くて、ちょっとしたことでテンパってしまった時、きっとあなたは自分のキャパシティの狭さを嘆くだろう。 いや・・・。そんな余裕すらないかもしれない。 そして、後から思うのだ。 「キャパシティを広くしたい。」 と。思わないかもしれないけど。
どうでもいいことまで譲らないでがんばると労力が分散されて勿体無い。 自分が譲れないもの以外は全部譲る。 それが多分ゴールへの近道。
そう、思わせておけばよい。 勝手に勘違いして損をするのはあちらなのだから。
最近でもないけど、自分ではない近くにある何かをやたらと見下して馬鹿にする様を見るようになった。 その度に、この国は大丈夫か?と暗澹とした気持ちになる。ウサギになってないか?と心配になる。 でも、その後、よくみると言っても、きっとごく一部でしかないのだろうと思いなおす。
価値観の違いに、どっちが上とかどっちが下とか無いのに、一方を下に見て蔑むのは、 距離感がはかれなくてパニックになっているか、 自分と違う価値観が怖いか、 のどちらかであることが多い。 勿体ない。
それは悲しいくらい絶望的な差だった。 僕はもう、いつだって、彼に勝てなくなっていた。 今まで、そんなに本気で勝とうなんて思ってもいなかった。 でも、今思うと、それは本心ではなく、クールなフリをして強がっていただけなのかもしれない。 ただ、自分を安心させるためだけに、彼の悪いところだけしか見えないように視線を固定して、 …
自分が住んでいる世界と違う世界を目の当たりにしたとき、 自分が住んでいる世界を脅かすかもしれない存在に気づきかけているとき、 「その世界は自分が住んでいる世界と違って馬鹿に出来るものである。自分の住んでいる世界よりも下である。」 と、相手をみくびって安心をする。
最近の規制緩和が呼び水になって発生した事件や短期的な損失に、 「規制緩和なんかするからだ。」 といろんなところから聞こえてくる。 でもそれって 「私たち国民はアホなんですから、どうか規制でガチガチにして面倒見てやってください。」 と言っているようなものじゃないの?
自称評論家の得意技ではあるが。