会社から賃金以外に「やる気」や「楽しみ」まで貰うつもりかい?

労働の対価として賃金が支払われる。

もし、労働に対してやる気が起きないからといって労働を放棄したら、賃金は支払われない。

「やる気が無いのは、仕事が楽しくないせい。組織のせい。」

と言うのは間違っている。

もし、労働をするのに、「やる気」が必要ならば、自分で作るべきである。

労働が楽しくないのは、当たり前である。

それで、賃金を貰っているのだから。

楽しいことは、趣味でやればよい。

楽しくない事を、楽しむ事で、「やる気」に繋がるかもしれないが、それは自分由来のものだ。

他にそれを期待するものではない。

自分で、そう思うように仕向けた方が良い。

ちなみに、この文章で言いたい事は、「仕事を楽しむべきではない。」という事ではなく、「仕事は自分から楽しみを見つけるべきだ。」という事だ。

Share

いつも制限するのは自分自身。

そろそろ世界は「だれもが、だれからも制限されない。」という事に気づくべきだ。

そうすれば「だれもが、だれかを制限できない。」という事に気づくだろう。

それが平和への第1歩だ。

Share

人はなりたいようになれる

人は、心の底からなれると信じていれば、いつかそうなる事ができる。

ある人が言っていました。

・なりたいものが見つかったら、まずとことん疑え。

・疑い尽くした後にそれでもなりたいと思ったら突き進め。

ステップとして正しいなぁと思いました。

Share

ナレッジマネジメントを定着させるための要素

ナレッジマネジメントを成功させるには人間的な要素が大切である。

・個人:謙遜しない勇気

 「取るに足らない事だから言ったら恥ずかしい思いするかも。」と言った意識をなくす。

・組織:どんな情報も受け入れる姿勢

 個人が「謙遜しない勇気」を持てるように、どんな事でも受け入れる姿勢が必要。

 そこに、新人、重役の差は無い。

 

「どんな情報も受け入れる姿勢」がないと「謙遜しない勇気」は持てない。

これは、一朝一夕ではない。

個人が「謙遜しない勇気」を持つ為の信頼を得る為には実績が必要だからだ。

否定される現場に「謙遜しない勇気」は無い。

Share

「育てられない会社」と「育たない社員」

結局のところ「自分は悪く無い」「他に原因がある」という意識に問題があるのかなと考えます。

それは「社員のせいにしすぎる管理者」と「会社・社会のせいにしすぎる社員」という構図が「教えたくない経験者」と「育たない若手」を作りだしているのではないかなぁと感じるからです。

二つに共通している厄介なところは、「自分は悪くない」という考えから生まれる「他に原因がある。」というところなのかなと。

そして、そのまま10年20年と経過してしまい、当時「教えたく無い経験者」だった人たちは「人の使い方」のわからない「社員のせいにしすぎる管理者」になり、「育たない若手」は「育たなかった」上に「育てられなかった」ので「教える事を知らない経験者」になってしまった。というのが現在の姿なのかなぁと考えるわけです。

「自分は悪く無い」と思っているかぎり、人は改善しようとしません。「自分は悪く無い」から「変わるべきなのは他」と思い、このままでいいと思ってしまうものです。

つまり会社サイドも、社員サイドも「自分は悪く無い」と思っている限り「何も改善されない。」し、相手に「何も伝えられない」となり「知識」が「伝わらない」となるわけです。

それが、一番の問題なのでは無いのかなと思うわけです。

その「自分は悪く無い」という意識が無くなり「問題」と「その原因」について客観的に向き合えるようになって、はじめて、具体的な事例、問題解決手段等が生きてくるのでは無いのかなぁと考えるわけです。

Share

誤字脱字、誤用が目立つとしらける

誰かが、自分の意見を書いた文章を読むとき、誤字脱字、誤用が頻繁にあったりすると、文章の内容を読む以前にしらける。

最近、そういった文章に出会う比率が高い気がする。

ネット上でもそうだし、書籍でもそうだし。

誤字脱字、誤用がある事で、文章の内容自体を評価して貰えないという事は、書き手にとってとても不幸な事だと思う。まぁ、「大した内容ではない。」もしくは、「内容自体も間違っている。」もしくは、「日本語が不自由な人です。」といった意思表示なのかも。

Share

周りを幸せにするという事は、場合によっては都合の悪いことである

周りを幸せにしようと心がける事はすばらしい事だと思う。

だが、「周りを幸せにしよう」の意味次第では、全然すばらしく無いことだったりもする。

むしろ、善意なだけ性質が悪い。

例えば・・・

自分にとっての幸せはきっと誰にとっても幸せって事だ。

なんて思ってる人が猪突猛進とばかりに、周りをその信念で持ってして幸せにしようとする。

たまたま、周りに信念が一致する人ばかりがいればいいかもしれない。だが、大抵の場合、そんな訳はない。「自分」と「周りの人」は同じ人間では無いからだ。そういった場合、その「幸せにする」という行為が「周りの人」にとってはとても都合の悪いこと・・・率直に言えば、いい迷惑なのである。

では、「周りを幸せにしたい。」と考え行動するとき、どうすればいいのかといえば、「押しつけない。」または、「自分にとって嫌なことをしない。」ことが最初に行われるべきで、その後に周りのニーズ、つまり周りの人それぞれの幸せの定義を汲み取った上で、「周りを幸せにしたい。」という行動を起こせばよいのだ。

皮肉なことに、「幸せにする。幸せになる。」という事が至上の命題である団体が起こす「周りを幸せにしたい」という行動は、たいてい大迷惑だったりするわけで、「妄信も猛進も怖いものである。」といういい例になるのではないのだろうかと思うのである。

Share

効率的なモノの覚えかた

何かを学ぼうとする時、教材だったり、説明してくれた人だったりの言葉をそのまま吸収しても多分忘れる。または、身につかない。

では、どうすればいいか。

「自分の中にある世界の中に学ぼうとしているモノをリハウス(引越し)させてみる。」

もっと簡単に言えば。

「自分の言葉に置き換えて覚える。」

でも、どうやって?

「人に説明するつもりで吸収する。」

そして、

「実際に声にだして説明してみる。」

人に説明しようとしたとき、自分の言葉に変換される。

自分の言葉に変換されると、自分の世界観にしっくり来るものになるので、自然と定着する。

逆に自分の言葉で説明出来ないということは、学ぼうとしている事が、自分の中にある世界に定着していないので、うまく説明出来ないことに自分で気がつくだろう。

しかも、自分が発した言葉は人にだけではなく自分にも聞こえるので、客観からの再認識を行うことが出来る。

ちなみに、定着させる。ということが、どういうことかというと、そのモノだけではなく、その周りとの関連を常に意識するということです。

人が一人では成り立っていないように(実際、大地が無かったら、そこに存在する事も出来ないわけだし。)必ず、何かとの繋がりがあるはずなので、そこの関連を見出すことです。

というわで、人はそれぞれ、自分の中に世界を持っているはずなので、外の世界から、自分の世界にリハウスさせ定着させる事が一番大事と言うことです。

って、この説明が一番分かりにくいってな・・・。

ま、暗黙知を形式知に変換する訓練みたいなものなので・・・。

ちなみに、自然とこれが実践出来て、クライアントの話を聞いたそばから、世界観を構築できたりすると、仕事の効率とか滅茶苦茶上がると思いますよ。

特に何かを作る仕事をしてる人。

Share