あなたから見た、誰かの振舞いがまるで
「頭がからっぽな人」
「何も考えていない人」
のように見えても、それはきっと違う。
あなたが観察できるのはせいぜい、その誰かの目に見える振舞いのみで、頭の中まで観察できるわけではないのだ。
誰もがきっと、それなりに考えている。
考えた上で行動している。
それが、突発的だったとしてもね。
だから頭が空っぽの人はいない。
もし頭が空っぽに近い状態の人がいるとしたらそれは、誰かをそう軽んじてレッテル貼りをしているあなた自身の頭かもしれない。
キャパシティが狭くて、ちょっとしたことでテンパってしまった時、きっとあなたは自分のキャパシティの狭さを嘆くだろう。
いや・・・。そんな余裕すらないかもしれない。
そして、後から思うのだ。
「キャパシティを広くしたい。」
と。思わないかもしれないけど。
そんなあなたに取って置きの方法がある。
それは
「テンパってないもん。」
と、テンパっているんだけどテンパって無いフリをする。
テンパってないフリをするという事はどういう事かというと、
「テンパっていない自分をイメージする。」
という事だ。
最初のうちは、ただのフリだったとしても、イメージを続けていくうちに本当になるはずだ。
そうやってキャパシティをちょっとずつ拡げていけばよいのだ。
きっと、フリではなく本当にテンパってしまわなくなる日が来る。
はずだ・・・。
それは悲しいくらい絶望的な差だった。
僕はもう、いつだって、彼に勝てなくなっていた。
今まで、そんなに本気で勝とうなんて思ってもいなかった。
でも、今思うと、それは本心ではなく、クールなフリをして強がっていただけなのかもしれない。
ただ、自分を安心させるためだけに、彼の悪いところだけしか見えないように視線を固定して、それでいてそんな自覚もないままに、それが彼の全体であるかのように見ていた。
自分の中に彼より劣っている部分があるなんて認めたくなかったんだろう。
本当は見えているはずのものはノイズであるかのように無視していた。
今思うと本当に馬鹿だったと思う。
ニセモノの優越感と焦りからくる強がりを一緒くたにして自分の本心に気づかないように自分自身にさえ隠していた。
僕がそんな愚かな時間を過ごしている間に彼は着実に、そして確実に前進していた。
僕に罵倒されることがあっても
「まったくその通りだ。君のいうとおりだよ。」
と、反論することなく笑顔でやり過ごす。
僕にはそんな真似ができなかった。きっとそれが僕と彼との差だったのだろう。
今でも彼は僕のことを尊敬の眼差しで見ているけど、その視線が僕にとってはとても痛かった。
全てに気づいてしまった今となっては、まだ認めたくない気持ちが残っているけれども、自分が間違っていたと認めるしかないのだ。
既に悲しいくらい遅いけれども、今は真実を見極め、彼に追いつけるよう、いや、自分が成長できるように生きて行きたいと思う。