思想的な正しさとは
思想的なことがらについての正しさとは、自分が正しいと信じるから正しいというだけなのでは無いだろうか。 だから、自分とは違う思想が間違っているから自分が正しいという、他の間違いに立脚した正しさはあり得ないのではないか。 相手もまた自分が正しいと信じているわけで、結局、正しさとはプライベートで相対的なものなのだ。
NAL-6295の記録
思想的なことがらについての正しさとは、自分が正しいと信じるから正しいというだけなのでは無いだろうか。 だから、自分とは違う思想が間違っているから自分が正しいという、他の間違いに立脚した正しさはあり得ないのではないか。 相手もまた自分が正しいと信じているわけで、結局、正しさとはプライベートで相対的なものなのだ。
「自分を大切にする。」という事は、「何でもかんでも自分を譲らない。」という事ではない。 「自分が大切だと思っている事だけ譲らない姿勢」それが大事だ。 なぜなら、「何でもかんでも自分を譲らない。」なんて疲れちゃうでしょう。 疲れてしまったら、本当に大切なものを譲らないでいられるエネルギーが無くなっちゃうよね。
薬物中毒関連の犯罪で、利用していることで罪を問われる場合。 犯罪として取り扱うと、量刑は、ほとんど、執行猶予付きになるから意味がない。 だから、再発率が高い。 執行猶予がついたからって、薬物への依存が無くなるわけじゃないからね。 じゃあ、どうすれば良いのかという話だけど、無罪でもなく有罪で懲役でもない、矯正治療という …
無理矢理こじつけたような「自分の意見」になっていて、結局、何が言いたいのかわからない。 無理しないで素直に情報番組やってりゃいいのに。
国政と勝手に絡めているけど、該当の地域以外の人にしてみれば ・勝手に絡めるな というタイプと ・やっぱり、そうなんだ。私もそうしよう。 というタイプに別れるんだろうね。 そして、後者は誘導されているという事に気づかないんだ。
私が子供の頃に親に教えてもらいたかった、たった一つのこと。 それは、 「人に何かを言われたところで自分自身が変化するわけではない。変わる要因は常に自分自身だ。」 ということ。 誰かに「馬鹿」と言われたからといって、馬鹿になるわけではない。 誰かに「ひきょう者」と言われたからといて、ひきょう者になるわけではない。
契約に対する意識が低いのか、企業が個人をいちいち訴えていられないと思っているのか。
誰になんと言われようと、なんと批判されようと自分らしさは誰のものでもなく自分のものだから。 誰かに奪い取られるものではないから。 安心して、自分らしさを大事にして欲しい。
ある事件や事柄に対して当事者では無い傍観者が得た瑣末な情報を元に 「私ならこうしない。」とか「私ならこうする。」とか言うことがあると思う。 ここまでは、別に自分におきかえてシミュレーションしているだけだから別に害も何もないんだけど、その後に当事者に対する否定や非難が続くと性質が悪い。
現実と好きなことを結びつけられる前に現実から逃げて好きなことだけしていても、どうしようもない。 迷惑をかけた相手から何か言われても、自分が逃げてきたからだと気づかないまま、逆ギレすることしかできない。 うまくいかないことを周りのせいにすることしかできない。