良いも悪いも納得させるには理由が必要だ

「こっちの方が良いと思うんだよね。」

「それじゃ駄目だよ。」

何故そう思うんだ?

周りを納得させるには理由が必要だ。

メリットを並べたて、デメリットを並べ立て、実績があるなら実績も加味して、これが良い、これが悪いを決めても遅くは無い。

でもね。理由は無いけど、良いと思う。悪いと思う。ってのは重要で、一つのアラームなのかもしれないんだ。もちろん、そうではないのかもしれない。

だから、どうしてそう思うのかを頑張って周囲に説明して欲しい。

じゃないと、自分だけが気づいている何かを伝えることが出来ないから。

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communication breakdown

現在は、昔に比べコミュニケーション不足であると言われがちだが、逆だと思っている。

現在ほど、コミュニケーション過多な時代は無いだろう。

コミュニケーションの形は時代とともに変わっていく。

コミュニケーション不足だという声は、そのコミュニケーションの形の移り変わりが見えていないという事と、自分以外のものとコミュニケーションを取る機会が増えた事により、コミュニケーションを取る上での問題がクローズアップされて見えるだけだろう。

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ルールを守るという事

利害関係が発生するような場合、基本的にルールを守った方がトータルでは得をする。

例えば、仕事でルールを守らなかった場合、その人が守らなかったがために、プロジェクトの進捗が遅れたり、仕様書のメンテナンスがされていなくて、保守が困ったりした場合、その人の信頼は失墜する。

最初は、まぁ大目に見てもらえるかもしれない。

だが、回数を重ねる毎に信頼は失われていく。

そうなると、もうその人はまともに使ってもらえない。

周囲には、

「こいつと仕事をすると、トラブる。」

とか、

「こいつは使えない。」

と思われているからだ。

周囲はただその人を除外するだけで良いので、損は限定的だが、

その人は自分を除外するわけにはいかないので、信頼を回復するまで損は続く。

こうやって、結局、決められたワークフローやルールを遵守しないと損をするように出来ている。

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「モチベーションを評価しない」という解決

「チームのモチベーションが低くて困っている。」

「モチベーションが低いから仕事をする気がおきない。」

「モチベーションを高くするにはどうしたらよいですか。」

「もっとモチベーションを高く維持しなくてはいけない。」

上記の発言全てが、仕事をする上での弊害になっているのではないだろうか。

モチベーションが低いからといって、目の前の仕事は無くならない。

モチベーションが低いという事が、仕事を適当にして良いという免罪符にはならない。

つまり、モチベーションの高低に関わらず、質の高い仕事をしなくてはいけないのである。

当たり前の事だが。

だから、モチベーションなんて評価しない方が良いのだ。

それを評価するから意識するし、

意識するから悩むのだ。

そして、そこから「モチベーション」を材料にした現実逃避が始まるのだ。

モチベーションが低い事で悩むよりも先にやる事がある。

それは、

「モチベーションに関係なく質の高い仕事をしなくてはいけない。」

という現実を直視してもらい、意識してもらう事だ。

その意識が生まれたらもう

モチベーションがどうこうなんて気にしてられないだろう。

その結果「モチベーション」という言葉が死語になれば良いなと思う。

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指摘されたら「ありがとう。」

ミスや間違いを指摘されるのは、嫌なものだけど、その反面ありがたい事だ。

仕事をする上で、早い段階でミスや間違いを減らす事が出来たら、それだけ円滑に業務を遂行できるだろう。

でも、ミスや間違いを指摘されると少し嫌な気持ちになる人も多いと思う。

そのため、他人に指摘する時も少し遠慮しがちになる傾向にあるだろう。

そして、その組織のミスや間違いは後から発見される事になる。

そこで、

指摘されたら「ありがとう」と言ってみてはどうかと思った。

指摘されるという事は、それだけ自分のミスや間違いを早い段階で訂正できるという事だし、

それが組織全体のミス低減に繋がるだろう。

もし、他人に指摘する事で「ありがとう」と声がかけられたらなら、遠慮しがちな傾向も改善されるのではないかと思うのだ。

指摘されたら「ありがとう。」と言い、指摘したら「ありがとう。」と言われる。

そんな連鎖が組織全体に広がれば、もっと楽しく正確に仕事ができるのではないかと思う。

だから、

指摘されたら「ありがとう。」が広がれば良いと思う。

A「鼻毛出てるよ。」

B「ありがとう。」

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円満の秘訣は、以心伝心を否定する事

世間ではよく、「仲の良い夫婦は以心伝心が出来ている」と言ったりするし、

何も言わなくても察して欲しい人が、相当数いるようだ。

そして私はそれが不思議で仕方が無い。

なぜなら、人間に人の心を読む能力であるテレパシーは備わっていないからである。

もちろん、相手の心をある程度、推測する事は可能である。

可能ではあるが、しかし憶測の域を超えない。

それは一種のギャンブルに近く、当たる可能性もあれば外れる可能性もある。

そして、テレパシー能力など備えていないにも関わらず、相手が自分の心を察してくれないと

相手を責めるのだ。

そろそろ気づいた方が良い。

以心伝心は、ただの幻想であり、それに頼るという事は、

伝える事を放棄しているだけだという事に。

伝わって欲しい事は、言葉にして相手に伝えなくてはいけないのだ。

それだけが人に許された伝達手段である。

もちろん、言葉にしたところで誤って理解される事がある。

だから、正しく伝わるように努力しなくてはいけないのだ。

伝えるという言葉は、「人に云う」と書く。

まさしくその通りにするべきなのだ。

「以心伝心に頼る」という事は、「伝える事に怠惰である」という事以外の何ものでも無い。

もしいま、相手が思っている事を察してくれなくて、やきもきしているなら、

それはお門違いだし、勿体ない。

ぜひ、言葉で直接伝えるべきである。

そうする事で再び心の安定を取り戻す事が出来るだろう。

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偽装とか偽造とか

売り手はもう少し、商品だけではなく信用もセットで売っているという事を意識する必要があるでしょう。

信用を売るという意識がある限り、偽りが入り込む余地はありません。

消費者は売り手を信用して商品を購入します。

信用されなくなった売り手の末路は火を見るより明らかです。

損得勘定で考えても、偽造とか偽装をする事は損です。

ちょっとコストが浮くからといって、偽装や偽造をしても、ばれた瞬間、浮いたコストの何倍ものコストがかかります。

どうも世の中には、ちょっと考えたらわかるような事もわからない、短期的な思考しかできない人が後を絶たないようで、正直不思議で仕方がありません。

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通勤という危険

昔から私は、仕事をする上で通勤という行為が一番苦手である。

移動するのが面倒だからではない。

危険だからである。

フレックスが適用される会社も多いと思うが、

それでも大多数の人間が同じ時間に電車に押し込まれて移動する事になる。

この距離が長ければ長い程、他人とわずかな距離で過ごさなければならない。

これがどういう事かというと、

ウィルスや細菌が繁殖し、人間に感染するには願っても無い好条件だという事だ。

特に冬は乾燥しているため、その危険性がグンとあがる。

病気を患ってしまうと仕事をする事が出来ない。

にもかかわらず、大多数の会社が、

病気を患う危険を侵して通勤しないと仕事ができないというシステムになっている。

個人的には早く同じ場所に集まらなくても仕事ができるシステムが多数派になって欲しいと願う。

テクノロジ的には既に何年も昔から可能なのだ。

あとは、それに人の思考や社会の指向が追いつくだけである。

でも、多数派になるには、あと10年は待たないといけないかな。

10年じゃ無理かな。

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仕事が楽しくない事で悩んでいる人へ

仕事が楽しくない事で悩んでいる人は、

「楽しくない仕事はやりたくない。」

という先入観を捨てると楽になりますよ。

仕事は本来楽しくないものです。

その変わりに対価をいただいています。

「仕事が楽しくなくては駄目だ。」

と思う事で、それが普通の状態となり、そうである事を期待してしまうので、冒頭の悩みに直面します。

最初から、楽しい仕事が向こうから降ってくるなんて期待しない事です。

そうすれば、たまたま楽しければ、ラッキーだし、楽しくないなら楽しくないで、それが普通の状態であると受け入れる事が可能になります。

すると、心に余裕が生まれ、逆に自分から楽しむという選択肢が生まれます。

そうする事で、楽しくなくて腐っている無駄な時間を省略する事ができます。

まぁ、そんなわけで、

「仕事は楽しくなくちゃ。」

とデフォルトで期待するのは止めた方が精神的にも楽ですよ。

ちなみに、仕事を与える側は、逆に楽しく仕事をしてもらう工夫をする必要があります。

そうする事で、ハイクォリティな結果が期待できるでしょう。

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