仕事が楽しくなくてもオカシク無い。

仕事は楽しいものじゃなくてはオカシイでしょ?

IT プロフェッショナルのみなさまへ : 仕事は楽しいものじゃなくてはオカシイでしょ?

仕事を楽しもうという姿勢が大事であるという事であれば同意です。

しかし、それを額面通り受け取ってしまう大半の人は

仕事に取り組めない言い訳を自分にするようになるだけだと思う。

そりゃ、仕事が楽しいに越したことはない。

そうだったら幸せだなとは思う。

だって、対価を貰った上に「楽しい」を貰えるのはうれしい。

でも、それを当然にしてしまったら仕事に取り組めない言い訳を自分にし始めるだけだと思う。

仕事は、対価との交換だから、「楽しい」という保証は無いのだ。

対価を貰う以上、楽しく無くてもやらなくてはいけないのが「仕事」である。

だから、「楽しい」は向こうからやって来ない。

だから、もし、仕事に「楽しい」を求めるのであれば、

「仕事は楽しい」

ではなく

「仕事を楽しむ」

になるだろう。

つまり、「楽しい」という付加価値を与えることができるのは、仕事に取り組む自分自身以外にはない。

それに気づける人は確かに「仕事は楽しい」のかもしれない。

が、それに気づけない人は、仕事に取り組むための敷居があがってしまい自分に言い訳を始める。

だから、その敷居をまたげないものにとっては、

「仕事が楽しいなんて保証はないし、求めるものでもない。

 対価を貰っている以上、交換でやらなくてはいけないものだ。

 楽しかったら、儲けもの。」

くらいの意識の方が楽ではないかと思うのである。

まぁ、そんな私は、それなりに楽しく仕事をしていますが。

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格差社会というマスコミの妄想

格差社会とは、マスコミが作り出した妄想でしかない。

実際は、過去に比べて、かなり格差の無い社会になってきたと感じる。

頑張って成果が出ればそれが評価される土壌も、

まだまだではあるが、生まれつつあるし、

頑張ろうとしても頑張れない層に対してのフォローも手厚い(日本は過保護だと思っている。)。

何よりも、低所得層と言われる人たちでも、

十分に生活ができる豊かさを日本は獲得している。

むしろ、低所得でも良いから好きなことをする。

といった選択しが増えたわけで、格差社会というのは完全な過ちである。

仕事が生き甲斐な人もいれば、そうではない人もいる。

そうでは無い人が「仕事が生き甲斐」と誤魔化す事無く、

「仕事は自分が生きるための糧を得る場」であり、

本来やりたいと思うことに時間を割くことができる。

今は、それが可能な社会であり、「格差社会」とはただの妄想である。

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適切でないメタファは誤解を助長する

適切でないメタファは有害である。

通常メタファを使う局面は、相手がそのままでは理解できない時だ。

だが、そこで適切ではないメタファを使ってしまうと、相手が間違って理解してしまう。

つまり、誤解させてしまう。

だから、できるだけメタファを使わないで理解して貰えたらそれに越した事は無いし、

メタファを使う時は、慎重に使わないといけない。

#私自身が、解説にメタファをぽんぽん入れるタイプなので、かなり自戒が入ってます。

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今までかけたコストは戻らない

たまに

「折角作った部分を改修するのは、もったいない。」

と言って重要な改善を諦めるという話を聞くが、

過去に既に投資したコストに縛られて、改善できない事の方がよほど勿体ない。

今までにかけたコストはもう戻らない。

過去に投資はできない。

投資は未来にしかできない。

という事。

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途中でやめたら今までの努力が無駄になる

今まで、一生懸命頑張って来て、

それなりに成果も出始めているという状況で、

その努力をやめてしまうと

これまで積み上げて来た努力が全て水の泡になる。

元の木阿弥である。

どれだけ、問題が噴出していても

頑張って一つ一つ解決し、

管理して来たからなんとかなっている。

ココでへこたれたら、今までなんとかなっていたものが

何とかならなくなる。

その時点で、今までの努力が無価値になる。

だから、ゴールまで頑張るしかないのだという事。

努力をやめてよいのは、ゴールするのを諦めた時のみ。

撤退する時のみ。

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親切が暴力になる時

他人からの親切は、

タイミングが良いとありがたく受け取るが、

タイミングが悪いと受け取りたくないものだ。

そして、受け取らなかった時、相手の反応によって親切が暴力になる。

では、どんなときに暴力になるのかというと

「なんだ、折角親切で言ってやったのに。」

という反応をしたときだ。

そういう反応をした側も嫌な感じだろうし、

親切を受け取らなかった側も嫌な感じになる。

つまり、他人に対する親切が、

マイナスの効果をもたらしてしまうわけだ。

では、どうしたらいいかというと、

相手が受けとるとは限らない。

受け取らなかった事を評価しない。

という姿勢が親切をする側には必要である。

そのことで、

相手に大して親切したときの嫌な気持ち。

相手から親切にしてもらったが、

タイミングが悪かったときのプレッシャーから解放され、

お互い、シンプルに親切にしやすくなるのではないかと思う。

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今時の新人研修

今時の大企業は新人研修が充実している。

いたれりつくせりで、新人は渡されたカリキュラムをこなすだけでいい。

チーム開発ごっこみたいなものもあるんだけど、出来そうな奴に任せておけば、

おこぼれにあずかれる。

で、配属されてから、てんやわんや。

結局、新人研修で学んだのは、受け身の姿勢と、他人任せな姿勢。

そんな感じになっている気がする。

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コーチングの仕方

新人を指導する立場の人が、自分の指導が下手で新人が育たない。と嘆いていた。

指導が下手なのは、貴方が特別悪いわけではなく、

指導の仕方を知らないのに上手く出来るわけが無い。

というだけの事。

だから、コーチングするための戦略を練る必要があり、

戦略を練る為には、そのための情報を得る(コーチングの手法を学ぶ)必要がある。

今のままじゃ、ゴルフやったことの無い人がホールインワン出来なくて嘆いているような感じだ。

でも、彼にとっては「指導するって難しい。」って事に気づいただけでも収穫だったと思う。

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あなたを否定しているわけではない

提出されるさまざまな成果物にたいして、

指摘をする事が良くある。

だが、それは成果物中に問題があり、

それを指摘し修正をお願いしているだけの事であり、

それ以外に何の意味も持たない。

それなのに、まるで自分が否定されたと感じる人がたまにいるようだ。

仕事なのだから、仕事をした結果として

提出された成果物について問うているのにだ。

その時興味があるのは、成果物の内容のみであり、

それを、どんな人格の人間が作成したかには興味は全くないし、

そんなことはどうでも良いのだ。

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「やる気」だけじゃ何の役にも立たない

「やる気」なんて、それだけじゃ何の役に立たない。

「自分がどれだけの事ができるのか」を「把握」していなくては意味がない。

「やる気」なんてものは、

「把握している自分」に対する「隠し味」みたいなもんだ。

何ができるのか知らないのに隠し味だけきかせても、

ただまずくなるだけ。

そういう状態を世間では「空回り」という。

蛇足だが、

「やる気」が無いから駄目なんだ。

「やる気」が無いからできない。

という状態は大抵の場合において

「やる気」があっても駄目。

「やる気」があっても出来ない。

である。

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