「正しい」という事

「正しい」という事は、結局のところ自分という変数と、現象という変数を乗算した結果が「正しい」という言葉に結びついた結果だ。
つまり、

自分×現象「正しい」

だから、同じ現象でも、自分・・・つまりその現象を観測する人が変われば、それがにもなるし、にもなる。
だから、自分の「正しい」をあまり人に押し付けない方がいい。
それはきっと、その人にとって「正しい」という事ではないかもしれない。
だからといって、自分の「正しい」を軽んじてもいけないだろう。
つまり、
自分の「正しい」を大切にしながら、人の「正しい」を尊重すればいいのだと思う。
その結果、人の「正しい」から学ぶこともできるだろうし、その上で、自分の「正しい」をより固いモノにもできるだろう。

結局のところ、戦争とか争いごとが始まるきっかけは、自分の「正しい」を絶対的なモノだと勘違いして人に押し付けてしまった結果なんだと思う。
それでは、誰も幸せにはなれない。

随分、前からそんな事を思ったりする。

これが「正しい」という言葉に関する、僕が「正しい」と思う解釈である。
だから、必ずしも「正しい」わけではない。

No(1054)

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プライバシーポリシーについて

最近思うこと。

いくら企業サイドがプライバシーポリシーを謳っていたところで、信用できない。

だって、漏洩しまくり。

不特定多数の人間がDBにアクセスできまくり。

ユーザIDもパスワードも共有されまくり。

だけど、当たり前のことだけど個人情報を渡さないとサービスが提供されるわけではない。

そこが、サービス受けるか諦めるかのジレンマを生んでいる。

なんていいながら、今日もAmazonで本買うし、Livedoorでblog書いてる僕・・・。

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レベルの高い人間が欲しい

僕が構築している開発手法に駄目出しできるレベルの人間が欲しい。

駄目出しされたら素直に聞くかと言われたら違うかもしれないが、議論できるレベルの人間が居たほうが、僕一人では気付かない何かに気付かせてくれそうだからだ。

僕自体がたいしたレベルでは無いと思っているので、そういった人にはもっとゴロゴロといて欲しいんだけど、いろんなところ渡り歩いている割には、いない。いても何年に一人といった具合だ。

きっと、居るところにはゴロゴロ居るんだろうなぁ。

そういうところで、切磋琢磨してみたいなぁ。

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缶詰すら食べられなくなるような過ぎ去った事にこだわって、これから得られるであろう利益を見過ごしてしまうのは、どうなのだろうかと思う。

昔から言いつづけていることなのだが、人間はそろそろ

 「自分が豊かで、あり続けるには周りを豊かにしなくてはいけない。」

という事に気づくべきである。

本来、国々の文化は尊重されるべきだが、その文化が周囲に害を及ぼすのであれば、それは偽りの文化でしかないだろう。

本来、文化は押し付けるものではなく、共存共栄するべきものだからである。

そろそろ缶詰すら食べられなくなるような過去にこだわって、未来に得られるであろうメリットを捨てる行為はナンセンスであるという事に気づいて欲しい。

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魔法の杖シンドロームと青い鳥症候群は似ている

ASP.NETに限らずERP,CRM,SCMなどが登場する度に、「魔法の杖シンドローム」という病気に罹る人たちがいる。

今自分が抱えている問題を、それらが一瞬のうちに解決してくれると思っているのだ。

この患者たちは、幸せを外に求めて追い続けている「青い鳥症候群」という病気に罹る人たちと似ている。

それはソリューションを外に求めている点である。

自分不在なのだ。

自分が存在しなければ、魔法の杖も必要ないし、青い鳥も必要ないだろう。

逆に言えば魔法の杖を適用する対象がないし青い鳥も幸せにはしてくれない。

だが、決して治らない病気ではない。

では、どうすれば治るのか。

それは難しいようで簡単である。

自分自身が魔法の杖である事に気付くことである。

結局自分自身が道具の使い方を知らなければ道具はただの無用の長物なのだ。

逆に、道具の使い方を知れば知るほど、自分自身が抱えていた問題を解決してくれるだろう。

まるでその道具が魔法の杖ではないかと実感できるくらいになった時、それはあなた自身の力なのであり、魔法の杖は道具ではなくあなたが持っている知識と知恵の方なのだ。

だから魔法の杖シンドロームに罹っている人たちは・・・

「魔法の杖は外に求めるのではなく、既に内に持っている。使えるようになるのも、するのも自分自身だ。」

という事に早く気付きましょう。

と自戒を込めて。

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誰かが誰かをどうこうしようなんて出来るわけがない

誰かが誰かをどうこうしようなんて出来るわけがない。

出来るのは、お願いする事だけだ。

聞き入れられる可能性は低いかもしれない。

聞き入られなかったからって、誰かを責める事なんてできない。

お願いとは、そういう性質のものだ。命令とは違う。

自分をどうこうできるのは自分だけだし、誰かをどうこうできるのは勿論その誰かでしかないのだ。

だから、万が一お願いが聞き入れられなかったからといって誰かを責めてはいけない。

見過ごせることなら見過ごせばよいし、見過ごせないならば相手にしなければよいのだ。

その選択をする自由はあるのだから。

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安全側に立った判断

安全側に立った判断は確かに面白味は無いが、それ以上に周りを幸せにします。

尼崎の電車の件を見て、何故、安全側に立った判断が出来ないのか疑問に思いました。

特に顧客の命を預かっている以上、最大の顧客サービスは時間どおりに目的地に輸送する事ではなく、無事に目的地に輸送する事です。

安全側に立った判断は確かに面白くないし、気づいて貰えなければ怠慢にうつる事もあるかもしれませんが、だからこそ大切なのではないかと思います。

最後に今回の件で、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。また、負傷された方の、一刻でも早い回復を併せてお祈りさせていただきます。

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