仕事に私情を挟んじゃだめ
私情はプライベートでどうぞ。
私情はプライベートでどうぞ。
体を思い通りにできなくなるという事なのかな。 と思うと、少しやるせなくなった。 心を思い通りにできるようになるという事なのかな。 と思うと、少し気分が良くなった。 でも、きっといつか心も思い通りにできなくなるんだろうと思う。
何かを学ぼうとする時、教材だったり、説明してくれた人だったりの言葉をそのまま吸収しても多分忘れる。または、身につかない。 では、どうすればいいか。 「自分の中にある世界の中に学ぼうとしているモノをリハウス(引越し)させてみる。」 もっと簡単に言えば。 「自分の言葉に置き換えて覚える。」
誰かが、自分の意見を書いた文章を読むとき、誤字脱字、誤用が頻繁にあったりすると、文章の内容を読む以前にしらける。 最近、そういった文章に出会う比率が高い気がする。 ネット上でもそうだし、書籍でもそうだし。 誤字脱字、誤用がある事で、文章の内容自体を評価して貰えないという事は、書き手にとってとても不幸な事だと思う。まぁ …
昔から言いつづけていることなのだが、人間はそろそろ 「自分が豊かで、あり続けるには周りを豊かにしなくてはいけない。」 という事に気づくべきである。 本来、国々の文化は尊重されるべきだが、その文化が周囲に害を及ぼすのであれば、それは偽りの文化でしかないだろう。
労働の対価として賃金が支払われる。 もし、労働に対してやる気が起きないからといって労働を放棄したら、賃金は支払われない。 「やる気が無いのは、仕事が楽しくないせい。組織のせい。」 と言うのは間違っている。 もし、労働をするのに、「やる気」が必要ならば、自分で作るべきである。
安全側に立った判断は確かに面白味は無いが、それ以上に周りを幸せにします。 尼崎の電車の件を見て、何故、安全側に立った判断が出来ないのか疑問に思いました。 特に顧客の命を預かっている以上、最大の顧客サービスは時間どおりに目的地に輸送する事ではなく、無事に目的地に輸送する事です。
僕が構築している開発手法に駄目出しできるレベルの人間が欲しい。 駄目出しされたら素直に聞くかと言われたら違うかもしれないが、議論できるレベルの人間が居たほうが、僕一人では気付かない何かに気付かせてくれそうだからだ。 僕自体がたいしたレベルでは無いと思っているので、そういった人にはもっとゴロゴロといて欲しいんだけど、い …
みんな、熱いなぁ。 誰かを自分の思い通りにどうこうできるわけなんて無いのに、どうこうしようと躍起になっている。 誰かに出来るのは、推奨する事と、お願いする事だけだし、その誰かは、誰かがやりたいようにしかやれないし、なりたいようにしかならないのに、自分が信じる姿に矯正しようと躍起になっている。
最近思うこと。 いくら企業サイドがプライバシーポリシーを謳っていたところで、信用できない。 だって、漏洩しまくり。 不特定多数の人間がDBにアクセスできまくり。 ユーザIDもパスワードも共有されまくり。 だけど、当たり前のことだけど個人情報を渡さないとサービスが提供されるわけではない。