世の中は大抵、平等にできている。
そう言うと、きっと大半の人は、嘘だと思うだろう。
でも、本当なのだ。
平等とは、「誰もが同じだけのフィードバックを得る事ができる。」という意味ではない。
平等とは、「誰もが同じだけ行動すれば、同じだけのフィードバックを得る事が出来る。」と言うことである。
誰もが「同じだけ行動」する事は無いので、正しく言えば、「その人の行いに見合ったフィードバックがある。」と言ったほうがいいかもしれない。
常々、いろんな場所で発言している事なのだが、本当の意味で豊かになるためには、まずは自分の周囲を豊かにするべきであると思っている。
あえて具体例は提示しないが、自分だけが豊かになろうとしている人は一時、それを得たとしても、すぐに破綻している。
なぜなら、自分だけが豊かになったところで、その豊かさを食いつぶしてしまえば何も無くなってしまうからである。
自分とその周囲を豊かにした場合は、自分だけでなく周囲にも豊かさという体力が芽生え、それぞれが独立し、時には絡み合いながら豊かさを増幅させていくので、いつまでたっても豊かでいられると思っている。
また、自分とその周囲を豊かにした時、その周囲にはそれぞれまた周囲がいるわけで、それが無限に広がって行くのではないのかなぁと思う。
これは、目新しい考え方では全くなく、本当は大抵の人が思っているはずなのに社会及び会社もしくは国という枠組みに入った瞬間、行動に移せなくなっているのではないのかなぁとも思っている。
そういう意味でも、せめて自分が関わった人たちには誠意を込めて対応して行けたらと思う。
自分の仕事で、喜んでくれる人がいるという事はとても幸せな事だと思う。
労働の対価として賃金が支払われる。
もし、労働に対してやる気が起きないからといって労働を放棄したら、賃金は支払われない。
「やる気が無いのは、仕事が楽しくないせい。組織のせい。」
と言うのは間違っている。
もし、労働をするのに、「やる気」が必要ならば、自分で作るべきである。
労働が楽しくないのは、当たり前である。
それで、賃金を貰っているのだから。
楽しいことは、趣味でやればよい。
楽しくない事を、楽しむ事で、「やる気」に繋がるかもしれないが、それは自分由来のものだ。
他にそれを期待するものではない。
自分で、そう思うように仕向けた方が良い。
ちなみに、この文章で言いたい事は、「仕事を楽しむべきではない。」という事ではなく、「仕事は自分から楽しみを見つけるべきだ。」という事だ。