「平等」とは「不平等」の事だ

世の中は大抵、平等にできている。

そう言うと、きっと大半の人は、嘘だと思うだろう。

でも、本当なのだ。

平等とは、「誰もが同じだけのフィードバックを得る事ができる。」という意味ではない。

平等とは、「誰もが同じだけ行動すれば、同じだけのフィードバックを得る事が出来る。」と言うことである。

誰もが「同じだけ行動」する事は無いので、正しく言えば、「その人の行いに見合ったフィードバックがある。」と言ったほうがいいかもしれない。

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議論ってのは・・・

世の中の大半は議論が下手だ。

というか、議論になっていない。

感情を持ち込んだ時点で、それは議論ではなく喧嘩だという事に気づいていないからだ。

感情は議題に対してフェアではない。

あともう一つ、議論において自分と他人を同一化しようとしている奴が多すぎる。

前提条件が違えば意見が違って当たり前だと言うことを知らない。

だから、感情的になっちゃうんだね。

そんな事を知らないから、朝まで生テレビっちゃうし、日曜日の朝から血管切れそうになっちゃうのだ。

まぁ、でもそれが仕事なんでしょうね。

わざと感情的にやってるだけなんでしょうね。

いわゆる一つのショーって奴なんでしょうね。

と信じたい。

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「手段」と「目的」

「目的」言ってみればゴール。

「手段」言ってみれば道のり。

だけど、人はしばしば、それを見誤る。

「手段」と「目的」を混同する。

そして、足を取られる。

拘るのは「目的」だけにしておいた方がいい。

「手段」はあくまで道具なのだ。

もし、その「手段」が「目的」を遠ざけているのなら。

もしくは、足かせとなっているのなら、棄ててしまえばいいのだ。

「手段」に拘って「目的」から遠ざかるなんて、とても不幸なことだからだ。

「手段」は選択可能だ。

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いつも制限するのは自分自身。

そろそろ世界は「だれもが、だれからも制限されない。」という事に気づくべきだ。

そうすれば「だれもが、だれかを制限できない。」という事に気づくだろう。

それが平和への第1歩だ。

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人はなりたいようになれる

人は、心の底からなれると信じていれば、いつかそうなる事ができる。

ある人が言っていました。

・なりたいものが見つかったら、まずとことん疑え。

・疑い尽くした後にそれでもなりたいと思ったら突き進め。

ステップとして正しいなぁと思いました。

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ナレッジマネジメントを定着させるための要素

ナレッジマネジメントを成功させるには人間的な要素が大切である。

・個人:謙遜しない勇気

 「取るに足らない事だから言ったら恥ずかしい思いするかも。」と言った意識をなくす。

・組織:どんな情報も受け入れる姿勢

 個人が「謙遜しない勇気」を持てるように、どんな事でも受け入れる姿勢が必要。

 そこに、新人、重役の差は無い。

 

「どんな情報も受け入れる姿勢」がないと「謙遜しない勇気」は持てない。

これは、一朝一夕ではない。

個人が「謙遜しない勇気」を持つ為の信頼を得る為には実績が必要だからだ。

否定される現場に「謙遜しない勇気」は無い。

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「育てられない会社」と「育たない社員」

結局のところ「自分は悪く無い」「他に原因がある」という意識に問題があるのかなと考えます。

それは「社員のせいにしすぎる管理者」と「会社・社会のせいにしすぎる社員」という構図が「教えたくない経験者」と「育たない若手」を作りだしているのではないかなぁと感じるからです。

二つに共通している厄介なところは、「自分は悪くない」という考えから生まれる「他に原因がある。」というところなのかなと。

そして、そのまま10年20年と経過してしまい、当時「教えたく無い経験者」だった人たちは「人の使い方」のわからない「社員のせいにしすぎる管理者」になり、「育たない若手」は「育たなかった」上に「育てられなかった」ので「教える事を知らない経験者」になってしまった。というのが現在の姿なのかなぁと考えるわけです。

「自分は悪く無い」と思っているかぎり、人は改善しようとしません。「自分は悪く無い」から「変わるべきなのは他」と思い、このままでいいと思ってしまうものです。

つまり会社サイドも、社員サイドも「自分は悪く無い」と思っている限り「何も改善されない。」し、相手に「何も伝えられない」となり「知識」が「伝わらない」となるわけです。

それが、一番の問題なのでは無いのかなと思うわけです。

その「自分は悪く無い」という意識が無くなり「問題」と「その原因」について客観的に向き合えるようになって、はじめて、具体的な事例、問題解決手段等が生きてくるのでは無いのかなぁと考えるわけです。

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誤字脱字、誤用が目立つとしらける

誰かが、自分の意見を書いた文章を読むとき、誤字脱字、誤用が頻繁にあったりすると、文章の内容を読む以前にしらける。

最近、そういった文章に出会う比率が高い気がする。

ネット上でもそうだし、書籍でもそうだし。

誤字脱字、誤用がある事で、文章の内容自体を評価して貰えないという事は、書き手にとってとても不幸な事だと思う。まぁ、「大した内容ではない。」もしくは、「内容自体も間違っている。」もしくは、「日本語が不自由な人です。」といった意思表示なのかも。

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