世の中は大抵、平等にできている。
そう言うと、きっと大半の人は、嘘だと思うだろう。
でも、本当なのだ。
平等とは、「誰もが同じだけのフィードバックを得る事ができる。」という意味ではない。
平等とは、「誰もが同じだけ行動すれば、同じだけのフィードバックを得る事が出来る。」と言うことである。
誰もが「同じだけ行動」する事は無いので、正しく言えば、「その人の行いに見合ったフィードバックがある。」と言ったほうがいいかもしれない。
時々、「それはよくないよ。」と指摘されたり、指摘している場面を見ることがありますが、そんな時いつも「誰にとってよくないの?」と問い返したくなります。
実際、問い返すという事は無いのですが・・・。
少なくとも指摘された側である僕は、「よくない」と思っていないから、そう行動しているわけです。
その上であえて、「よくない」と指摘する動機とは何なんでしょう。
*追記
例えばEUがマイクロソフトに指摘している「よくない」は明らかにユーザ不在で、誰にとってよくないのか理解できないんだよね。
(指摘しているのは、
「WindowsからWindows Media Playerを外しなさい。また、外したバージョンの名称にMedia Playerが無いと書いてはいけません。」
っていう内容。)
みんな、熱いなぁ。
誰かを自分の思い通りにどうこうできるわけなんて無いのに、どうこうしようと躍起になっている。
誰かに出来るのは、推奨する事と、お願いする事だけだし、その誰かは、誰かがやりたいようにしかやれないし、なりたいようにしかならないのに、自分が信じる姿に矯正しようと躍起になっている。
僕も、身近な誰かには、そういう態度を取っているかもしれないけど、他人に対してそこまで熱くはなれない。
人に、どうこう押しつけられる程偉くはないし、むしろ劣っている部分も多いだろう。
だから、僕が人に対して発する事のできる言葉は推奨する事と、お願いする事だけなのだ。
勿論、世の中には、そういう事が出来る偉い人がいるのだろうから、このエントリでは、そういった行動を否定しているわけではない。
常々、いろんな場所で発言している事なのだが、本当の意味で豊かになるためには、まずは自分の周囲を豊かにするべきであると思っている。
あえて具体例は提示しないが、自分だけが豊かになろうとしている人は一時、それを得たとしても、すぐに破綻している。
なぜなら、自分だけが豊かになったところで、その豊かさを食いつぶしてしまえば何も無くなってしまうからである。
自分とその周囲を豊かにした場合は、自分だけでなく周囲にも豊かさという体力が芽生え、それぞれが独立し、時には絡み合いながら豊かさを増幅させていくので、いつまでたっても豊かでいられると思っている。
また、自分とその周囲を豊かにした時、その周囲にはそれぞれまた周囲がいるわけで、それが無限に広がって行くのではないのかなぁと思う。
これは、目新しい考え方では全くなく、本当は大抵の人が思っているはずなのに社会及び会社もしくは国という枠組みに入った瞬間、行動に移せなくなっているのではないのかなぁとも思っている。
そういう意味でも、せめて自分が関わった人たちには誠意を込めて対応して行けたらと思う。
自分の仕事で、喜んでくれる人がいるという事はとても幸せな事だと思う。