キレイゴトという言葉はなんだろうなと思う時がある。
いつも、キレイゴトという言葉を使うのは、否定する側のような気がする。
「それはキレイゴトだから。」
「そんなキレイゴトができたら苦労しない。」
キレイゴトとは、そんなに非現実的なことなんだろうか。
キレイゴトを実現させないから苦労するのではないだろうか。
キレイゴトを実現させるために苦労することで、後々の苦労から解放されるような事は無いのだろうか。
そんな気も少しする。
ソースコードだって設計だって、綺麗に書いた方が、後から楽になるし。
なんで「キレイゴト」はそんなに嫌われるのだろうか。
現実との乖離が激しいから?
あまりにも現実に対して「キレイゴト」が眩しすぎるから?
んー。どうなんだろうなー。という暇つぶしの雑感。