そろそろ世界は「だれもが、だれからも制限されない。」という事に気づくべきだ。
そうすれば「だれもが、だれかを制限できない。」という事に気づくだろう。
それが平和への第1歩だ。
の記事中で、
分煙強化には取り組むものの全面禁煙には応じられない
なんて言ってますが、
現状、禁煙区域に禁煙の張り紙しているだけだし、禁煙区域で煙草を吸っている人を見ても、駅員は全く注意しない。
よく、こんなこと言えるなと思う。
常々、いろんな場所で発言している事なのだが、本当の意味で豊かになるためには、まずは自分の周囲を豊かにするべきであると思っている。
あえて具体例は提示しないが、自分だけが豊かになろうとしている人は一時、それを得たとしても、すぐに破綻している。
なぜなら、自分だけが豊かになったところで、その豊かさを食いつぶしてしまえば何も無くなってしまうからである。
自分とその周囲を豊かにした場合は、自分だけでなく周囲にも豊かさという体力が芽生え、それぞれが独立し、時には絡み合いながら豊かさを増幅させていくので、いつまでたっても豊かでいられると思っている。
また、自分とその周囲を豊かにした時、その周囲にはそれぞれまた周囲がいるわけで、それが無限に広がって行くのではないのかなぁと思う。
これは、目新しい考え方では全くなく、本当は大抵の人が思っているはずなのに社会及び会社もしくは国という枠組みに入った瞬間、行動に移せなくなっているのではないのかなぁとも思っている。
そういう意味でも、せめて自分が関わった人たちには誠意を込めて対応して行けたらと思う。
自分の仕事で、喜んでくれる人がいるという事はとても幸せな事だと思う。
時々、「それはよくないよ。」と指摘されたり、指摘している場面を見ることがありますが、そんな時いつも「誰にとってよくないの?」と問い返したくなります。
実際、問い返すという事は無いのですが・・・。
少なくとも指摘された側である僕は、「よくない」と思っていないから、そう行動しているわけです。
その上であえて、「よくない」と指摘する動機とは何なんでしょう。
*追記
例えばEUがマイクロソフトに指摘している「よくない」は明らかにユーザ不在で、誰にとってよくないのか理解できないんだよね。
(指摘しているのは、
「WindowsからWindows Media Playerを外しなさい。また、外したバージョンの名称にMedia Playerが無いと書いてはいけません。」
っていう内容。)