安全側に立った判断

安全側に立った判断は確かに面白味は無いが、それ以上に周りを幸せにします。

尼崎の電車の件を見て、何故、安全側に立った判断が出来ないのか疑問に思いました。

特に顧客の命を預かっている以上、最大の顧客サービスは時間どおりに目的地に輸送する事ではなく、無事に目的地に輸送する事です。

安全側に立った判断は確かに面白くないし、気づいて貰えなければ怠慢にうつる事もあるかもしれませんが、だからこそ大切なのではないかと思います。

最後に今回の件で、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。また、負傷された方の、一刻でも早い回復を併せてお祈りさせていただきます。

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飲み会終わり

@ITの飲み会は無事終了しました。

楽しい話ができたし、良い刺激も受けられ良かったです。

もうちょっと、交流できたら良かったな。と心残りを感じつつ、それは次回のお楽しみということにします。

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ハード酒ケジュール

今日は隣の席の人の送別会でした。

明日は昼から屋外パーティです。

そして夜からは@IT掲示板の非公式オフ会です。

ハード酒ケジュールなので、気をつけて、ほどほどに飲んできます。

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缶詰すら食べられなくなるような過ぎ去った事にこだわって、これから得られるであろう利益を見過ごしてしまうのは、どうなのだろうかと思う。

昔から言いつづけていることなのだが、人間はそろそろ

 「自分が豊かで、あり続けるには周りを豊かにしなくてはいけない。」

という事に気づくべきである。

本来、国々の文化は尊重されるべきだが、その文化が周囲に害を及ぼすのであれば、それは偽りの文化でしかないだろう。

本来、文化は押し付けるものではなく、共存共栄するべきものだからである。

そろそろ缶詰すら食べられなくなるような過去にこだわって、未来に得られるであろうメリットを捨てる行為はナンセンスであるという事に気づいて欲しい。

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「正しい」という事

「正しい」という事は、結局のところ自分という変数と、現象という変数を乗算した結果が「正しい」という言葉に結びついた結果だ。
つまり、

自分×現象「正しい」

だから、同じ現象でも、自分・・・つまりその現象を観測する人が変われば、それがにもなるし、にもなる。
だから、自分の「正しい」をあまり人に押し付けない方がいい。
それはきっと、その人にとって「正しい」という事ではないかもしれない。
だからといって、自分の「正しい」を軽んじてもいけないだろう。
つまり、
自分の「正しい」を大切にしながら、人の「正しい」を尊重すればいいのだと思う。
その結果、人の「正しい」から学ぶこともできるだろうし、その上で、自分の「正しい」をより固いモノにもできるだろう。

結局のところ、戦争とか争いごとが始まるきっかけは、自分の「正しい」を絶対的なモノだと勘違いして人に押し付けてしまった結果なんだと思う。
それでは、誰も幸せにはなれない。

随分、前からそんな事を思ったりする。

これが「正しい」という言葉に関する、僕が「正しい」と思う解釈である。
だから、必ずしも「正しい」わけではない。

No(1054)

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効率的なモノの覚えかた

何かを学ぼうとする時、教材だったり、説明してくれた人だったりの言葉をそのまま吸収しても多分忘れる。または、身につかない。

では、どうすればいいか。

「自分の中にある世界の中に学ぼうとしているモノをリハウス(引越し)させてみる。」

もっと簡単に言えば。

「自分の言葉に置き換えて覚える。」

でも、どうやって?

「人に説明するつもりで吸収する。」

そして、

「実際に声にだして説明してみる。」

人に説明しようとしたとき、自分の言葉に変換される。

自分の言葉に変換されると、自分の世界観にしっくり来るものになるので、自然と定着する。

逆に自分の言葉で説明出来ないということは、学ぼうとしている事が、自分の中にある世界に定着していないので、うまく説明出来ないことに自分で気がつくだろう。

しかも、自分が発した言葉は人にだけではなく自分にも聞こえるので、客観からの再認識を行うことが出来る。

ちなみに、定着させる。ということが、どういうことかというと、そのモノだけではなく、その周りとの関連を常に意識するということです。

人が一人では成り立っていないように(実際、大地が無かったら、そこに存在する事も出来ないわけだし。)必ず、何かとの繋がりがあるはずなので、そこの関連を見出すことです。

というわで、人はそれぞれ、自分の中に世界を持っているはずなので、外の世界から、自分の世界にリハウスさせ定着させる事が一番大事と言うことです。

って、この説明が一番分かりにくいってな・・・。

ま、暗黙知を形式知に変換する訓練みたいなものなので・・・。

ちなみに、自然とこれが実践出来て、クライアントの話を聞いたそばから、世界観を構築できたりすると、仕事の効率とか滅茶苦茶上がると思いますよ。

特に何かを作る仕事をしてる人。

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「育てられない会社」と「育たない社員」

結局のところ「自分は悪く無い」「他に原因がある」という意識に問題があるのかなと考えます。

それは「社員のせいにしすぎる管理者」と「会社・社会のせいにしすぎる社員」という構図が「教えたくない経験者」と「育たない若手」を作りだしているのではないかなぁと感じるからです。

二つに共通している厄介なところは、「自分は悪くない」という考えから生まれる「他に原因がある。」というところなのかなと。

そして、そのまま10年20年と経過してしまい、当時「教えたく無い経験者」だった人たちは「人の使い方」のわからない「社員のせいにしすぎる管理者」になり、「育たない若手」は「育たなかった」上に「育てられなかった」ので「教える事を知らない経験者」になってしまった。というのが現在の姿なのかなぁと考えるわけです。

「自分は悪く無い」と思っているかぎり、人は改善しようとしません。「自分は悪く無い」から「変わるべきなのは他」と思い、このままでいいと思ってしまうものです。

つまり会社サイドも、社員サイドも「自分は悪く無い」と思っている限り「何も改善されない。」し、相手に「何も伝えられない」となり「知識」が「伝わらない」となるわけです。

それが、一番の問題なのでは無いのかなと思うわけです。

その「自分は悪く無い」という意識が無くなり「問題」と「その原因」について客観的に向き合えるようになって、はじめて、具体的な事例、問題解決手段等が生きてくるのでは無いのかなぁと考えるわけです。

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素で敵

無知なままで仕事をすることの有害性に対して無知でいられる人は、なんて素敵なんだ。

・・・なんて事はなく、むしろ素で敵だ。

#客が可哀想。

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