ここ数年「やばい」という言葉が、「危険である。」という意味ではなく、「魅力的、かっこいい。」という肯定的な意味で使われる事が多い。
と、ここで終わると、今頃何を言っているんだという話になってしまう。
そこで私が何が言いたいかというと、後者の「肯定的な意味で使われている」とされている局面においてもやはり、「危険である。」という意味が含まれているのでは?
ということ。
「やばい」という言葉が使われる時の前提条件が会話か完全に省略されてしまっているだけだと言うことだ。
例を挙げると、
「あの店の料理、やばいよね。(うまいよねという意味)」
というのは、省略しないで会話すると
「あの店の料理、(美味すぎてついつい食べ過ぎてしまって)やばいよね。(危険であるという意味)」
となる。
つまり、対象のものが魅力的すぎて、理性が働かなくなる状態の事を「やばい」と言っているにすぎないのだ。
だが現代の若者は、そんなに理性が薄っぺらいのかというとそんな事はなく、言葉が普及してカジュアルになっているだけにすぎない。