とほほ。
とりあえず、メールで更新可能か問い合わせ。
実は冠詞の使い分けに関しては、プログラムを書く人間であれば即座に理解できる法則があります。もちろん英語は人間が使う言葉の一つのため多少の例外はありますが、ほとんどの場合通用します。
確かに、分かりやすいかも。
きっと、それでも間違えるのだろうけど・・・。
しばらく前から各国版のサイトに登場していたCreative ZEN 32GBモデルが正式に発表されました。国内での発売は12月中旬、価格は3万9800円。クリエイティブストア限定販売となります。
iPod touchの32GBモデルもさっさと出そうな気がしてきた・・・。
中途半端にコメントするには、長くなってしまったので、記事としてレスします。
>> >簡単になるのって、本当にいいことなのですか?
>> 誰にとってですか?
> 誰にとっても、です。あるいは、大局として、です。個々の事象が好ましい状況になることは、そのためにするのですから、当然と考えます。しかし、長期的、大局的に考えたとき、あるいは後から考え直したときに、本当に好ましいことなのでしょうか。
いえいえ、誤解させてしまいました。申し訳ありません。
大局的に好ましい状況の「好ましい」はどういう視点からみた場合ですか?
と聞いています。
そして、私からみれば、「好ましい状況になっている。」と答えています。
テクノロジが発展し、あらゆることが昔に比べ簡単にできるようになったことで、昔に比べて、肉体的なハンデや距離的なハンデなど、あらゆるハンデが軽減されてきました。
つまり、昔であれば、とてもじゃないけど普通の生活ができなかった人々が普通の生活をおくることができるようになりましたし、人生において、いろんな生活を選択するチャンスが増えてきました。
また、昔であれば、とてもじゃないけど知り合うことができなかった人々が知り合うことができるようになりましたし、外に出なくても(外に出られない人でも)その気になればコミュニケーションを取ることが可能になりました。
これは、前段で書いた文化やテクノロジの発展でハンデが克服された例でもあります。
もちろん、その影響で、一部の人が独占していたパイが解放されたため、既得権益は昔に比べて減ってきたともいえます。
私からみると、これは「好ましい状況」であるといえますが、独占できていたパイを奪われた一部の人にとっては「好ましい状況」とはいえません。
>> 物質的に満たされた状態じゃないと、多分、それを満たすことに終始して、それこそほかの本質的に大切な物が犠牲になるのではないかと思います。
> そうでしょうか?
> 例えば、人間は「明日の糧」という物質的なことを満足するために、農耕を行います。では、農耕を行わないその他の動物は、満たされていないのでしょうか。あるいは、幸福ではないのでしょうか。
物質的に満たされた状態=「足ることを知っている状態」なのですが、ここも誤解させるような書き方になっていたようです。
物質的に満たされた状態は千差万別ですが、衣食住がままならない状態は、それを獲得しなければ生活がままならないわけで、他のもっと大切なものに時間や思考を費やすことはできません。
もちろん、衣食住がままならない状態とは国によっても違うでしょうし、動物にとっても違います。
> 「足ることを知る」これこそ、幸福の源ではないでしょうか。物質的な満足を得ようとするから、さらにさらに欲しがるのではないでしょうか。
> アフリカなどの「貧しい」とされている国々の人が、「貧しい」のは、「富んでいる」国々と比較するからではないでしょうか。
経済という面だけでみれば、アフリカなどの国は「貧しい」かもしれませんが、先ほど述べたように衣食住がままならない状態は国によって違うと思っているので、私は「貧しい」とは思えません。
> 富は、さらなる富への要求を生むからではないでしょうか。これこそ、「貧しい」状態ではないでしょうか。
これは、富という言葉に対する嫌悪、偏見からでしょうか。
継続的に富を得る方法を知っていれば、このような偏見は出ないかもしれません。
継続的に富を得るには、搾取するのではなく、周りの人も含めて継続的に満たしていく必要があり、その周りの人が富を生みます。
周りの人も含めて満たしている人が果たして「貧しい」状態でしょうか。
> あるいは、先日マリック氏のマジックを見破れるか?というTV番組がありました。彼らは、驚異的な視力を持っています。物質的には日本人の方が豊かかもしれません。しかし、肉体的にはアフリカで昔ながらの生活を続けている人々の方が豊かだと言えるかもしれません。
視力という点で言うと、「視力が高い=優れている」とはいえません。
人間は(動物もですが)住んでいる環境に適合するようにできています。
今の日本の都市だけに限定すれば、「近視の方が生活する上で都合が良い。」という話もあります。
(とはいえ、私個人の話をすれば、レーシック受けたいなぁなんて思っているのですが・・・)
最後に
> 果たして子どもは成人した後、それでも「良かった」と思うのでしょうか。(いや、他人にはわからんけどね)少なくとも、母親はもと旦那に「あんたはひとり分、ひとつのゲームで済むからええどなぁ、こっちはふたり分の費用と、これからのゲームの分も出費がかかんねんで。おまけに親子の会話もなくなるし。ほんま、最悪やわ!」と、怒りのメールを送るくらい、好ましいことではなかったようです。
親子の会話は家庭がうまくいく必須要素ですか?
それぞれが自分のやりたいことをやっていても、家族を感じていれば良いのではないでしょうか。
もちろん伝えたいことがあれば、言葉を尽くして伝える必要がありますが・・・。
親子の会話は付随するものであり、無理にするものではありません。
まぁ、正直なところ「どんだけゲームやってるんだ。」という感想を持ちました。
単純に責任をゲームに転嫁しているだけに見えます。
(もちろん、ゲームをしなかった場合を試せるわけではないので、どちらが良かったかわからないし、会話があった場合にうまくいったかどうかもわかりませんが。)
社会のモラルハザード、規範意識の欠落、希薄化はどういうところで補うのか。学校教育が補えない中で、心身を鍛錬する場が必要ではないかと言いたかった
今時の若者よりも大人のほうがよっぽどモラルが無いと思う。
「今時の若者は」
と言っている大人達は知らないところで
「今時の大人は」
と言われていることを知らない。
若者は、そんな大人を見て育つのだということを忘れてはいけない。
前々から、今の世の中は「格差社会」ではなく「選択社会」だと思っているし過去のエントリでもそう書いてきた。
それ故、「格差社会」という言葉をエクスキューズにして自分の現状を「自分由来の原因」ではなく「社会由来の原因」に置きかえて頑張らないまま来てしまった人を増やしているのではないかと思う。
(「選択社会」とわかった上で、頑張らない選択をしている人は対象外)
あまり長々と書く時間が無いので、簡単に書くと
1.報道等により「格差社会」という誤解をする
2.自分に問題があるのではなく、社会に問題があるから今の現状があるのだと思う。
3.その結果、努力するチャンス、変化するチャンスを失う。
4.誤解していない人と、誤解している人の意識格差が拡大する。
という過程を経て、「格差社会」という言葉において「格差」とされている部分は、どんどん広がっていくのではないだろうか。
今の世の中ほど、頑張りかた次第で、いくらでも変化できる時代は無いと思う。
ここからは妄想ですが、
それゆえ、すでに、ある程度成功してある程度のパイを掴んでいる人にしてみれば、限られたパイを他の人に奪われたくないから、あまり頑張らないように、「格差社会」という誤解を報道を通じてまき散らして「意識格差」を作りだしているのかな。
とも思う。