ふむ。。。これを読んで思いだしたのが、@IT にある、「25歳過ぎてプログラミングしている人は危機感を持て」というスレッド。ここで私は、あるスポーツ用品のコマーシャルを持ち出して、「自分は十分だということ」=「向上心がない」としていますが、それは間違いですね。
そのコマーシャルでも、「ああ、俺たちは十分速い」と、自分が一定の基準を満足していることを認めています。その上で、「おまえはそこに座って、もっと速くなる俺を見ていろ」と、向上心も持っています。
昔、どこかで書いた内容を思い出した。
たしか・・・
・自分が知っている部分については自信を持つ。
・自分が知らない部分については謙虚になる。
そうする事で、自信と謙虚は両立できるし、いつまでも成長できる。
言い換えれば、自信の無い人は謙虚には振る舞えないという事だ。
といった内容の事を書いたんだと思う。
だが、自己を分析するという事になれていない人が大多数であり、
そういう人は自信を持つという事と謙虚になるという事が両立できずに、
卑屈になるか、自信という名の盲信になるかのどちらかである。
では、どうしたら意識しないで自己を分析できるようになり、
上述した「自信と謙遜の両立」が成り立つかと言えば、
主観と同時に、常に自分を客観視し、必要以上に感情に左右されない事だろう。
その上で、一度、自分が持っているもの、持っていないものを洗い出して見る事だ。