効率的なモノの覚えかた

何かを学ぼうとする時、教材だったり、説明してくれた人だったりの言葉をそのまま吸収しても多分忘れる。または、身につかない。

では、どうすればいいか。

「自分の中にある世界の中に学ぼうとしているモノをリハウス(引越し)させてみる。」

もっと簡単に言えば。

「自分の言葉に置き換えて覚える。」

でも、どうやって?

「人に説明するつもりで吸収する。」

そして、

「実際に声にだして説明してみる。」

人に説明しようとしたとき、自分の言葉に変換される。

自分の言葉に変換されると、自分の世界観にしっくり来るものになるので、自然と定着する。

逆に自分の言葉で説明出来ないということは、学ぼうとしている事が、自分の中にある世界に定着していないので、うまく説明出来ないことに自分で気がつくだろう。

しかも、自分が発した言葉は人にだけではなく自分にも聞こえるので、客観からの再認識を行うことが出来る。

ちなみに、定着させる。ということが、どういうことかというと、そのモノだけではなく、その周りとの関連を常に意識するということです。

人が一人では成り立っていないように(実際、大地が無かったら、そこに存在する事も出来ないわけだし。)必ず、何かとの繋がりがあるはずなので、そこの関連を見出すことです。

というわで、人はそれぞれ、自分の中に世界を持っているはずなので、外の世界から、自分の世界にリハウスさせ定着させる事が一番大事と言うことです。

って、この説明が一番分かりにくいってな・・・。

ま、暗黙知を形式知に変換する訓練みたいなものなので・・・。

ちなみに、自然とこれが実践出来て、クライアントの話を聞いたそばから、世界観を構築できたりすると、仕事の効率とか滅茶苦茶上がると思いますよ。

特に何かを作る仕事をしてる人。

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「育てられない会社」と「育たない社員」

結局のところ「自分は悪く無い」「他に原因がある」という意識に問題があるのかなと考えます。

それは「社員のせいにしすぎる管理者」と「会社・社会のせいにしすぎる社員」という構図が「教えたくない経験者」と「育たない若手」を作りだしているのではないかなぁと感じるからです。

二つに共通している厄介なところは、「自分は悪くない」という考えから生まれる「他に原因がある。」というところなのかなと。

そして、そのまま10年20年と経過してしまい、当時「教えたく無い経験者」だった人たちは「人の使い方」のわからない「社員のせいにしすぎる管理者」になり、「育たない若手」は「育たなかった」上に「育てられなかった」ので「教える事を知らない経験者」になってしまった。というのが現在の姿なのかなぁと考えるわけです。

「自分は悪く無い」と思っているかぎり、人は改善しようとしません。「自分は悪く無い」から「変わるべきなのは他」と思い、このままでいいと思ってしまうものです。

つまり会社サイドも、社員サイドも「自分は悪く無い」と思っている限り「何も改善されない。」し、相手に「何も伝えられない」となり「知識」が「伝わらない」となるわけです。

それが、一番の問題なのでは無いのかなと思うわけです。

その「自分は悪く無い」という意識が無くなり「問題」と「その原因」について客観的に向き合えるようになって、はじめて、具体的な事例、問題解決手段等が生きてくるのでは無いのかなぁと考えるわけです。

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素で敵

無知なままで仕事をすることの有害性に対して無知でいられる人は、なんて素敵なんだ。

・・・なんて事はなく、むしろ素で敵だ。

#客が可哀想。

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いつも制限するのは自分自身。

そろそろ世界は「だれもが、だれからも制限されない。」という事に気づくべきだ。

そうすれば「だれもが、だれかを制限できない。」という事に気づくだろう。

それが平和への第1歩だ。

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どっかでなんかしたい なんとなくなんかしたい

言っちゃうくらいちょうだいバケーション。

いや、ほんと1週間くらいください。まじで・・・。

基本的に会社にいると圧迫感と緊張感でいっぱいで、仕事があるとそんな事考えず専念できて良いんだけど、ふと暇で我に返ると結構苦痛。

せめて、私服で会社に行きたい今日この頃。

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モチベーションがあがらない

日頃から、モチベーションの上下で仕事の質を左右してはいけない。

と、言っている僕ですが、モチベーションが下がりまくりな感じです。

それもこれも、首の痛みが続いているからなのか、4月以降の仕事の条件面がまだ決まってないからなのかバイオリズムがそうなってるのか、知らないけど、元気出さないとね。

疲れ気味なのかな。

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本当の意味で豊かになるためには・・・

常々、いろんな場所で発言している事なのだが、本当の意味で豊かになるためには、まずは自分の周囲を豊かにするべきであると思っている。

あえて具体例は提示しないが、自分だけが豊かになろうとしている人は一時、それを得たとしても、すぐに破綻している。

なぜなら、自分だけが豊かになったところで、その豊かさを食いつぶしてしまえば何も無くなってしまうからである。

自分とその周囲を豊かにした場合は、自分だけでなく周囲にも豊かさという体力が芽生え、それぞれが独立し、時には絡み合いながら豊かさを増幅させていくので、いつまでたっても豊かでいられると思っている。

また、自分とその周囲を豊かにした時、その周囲にはそれぞれまた周囲がいるわけで、それが無限に広がって行くのではないのかなぁと思う。

これは、目新しい考え方では全くなく、本当は大抵の人が思っているはずなのに社会及び会社もしくは国という枠組みに入った瞬間、行動に移せなくなっているのではないのかなぁとも思っている。

そういう意味でも、せめて自分が関わった人たちには誠意を込めて対応して行けたらと思う。

自分の仕事で、喜んでくれる人がいるという事はとても幸せな事だと思う。

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