「君のために。」という不実

なぜ?

どうして?

君のためを思って言ってやっているのに。

君のためを思ってやってやったのに。

君のためを思って・・・。

その全てが不実だ。

「君のためを思って」という動機と欲求を満たす義務は「君」という対象にはない。

私は「君のためを思って」と言われたり、思惑が露骨に見えたりすると途端に信頼したくなくなる。

だから、「自分のためを思って」人の世話を焼く。

その方が気が楽だし、そういう人を信頼する傾向にある。

だから私は自覚的な偽善を否定しない。

自分のためだと知っているからだ。

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我慢をすることではダイエットも地球環境保護も続かない。

利便性を損なってはいけない。

我慢なんて続かないからだ。

今の利便性を損なわないまま、どこまで目的に近づけるかが大事なのだ。

例えば、電気。

もし、世の中の全ての蛍光灯がLEDに置き換われば、かなりの量の電力消費量が減るだろう。

LEDを生産し蛍光灯を廃棄する分はすぐにペイできるだろう。

しかも、LEDは長寿命だ。

利便性は一ミリたりとも、損なわれていない。

むしろ、長寿命であり、熱源にもならないという部分では利便性が追求されている。

そうやって、我慢しないで続けていく必要があるのだ。

実際のところ、現状は、普及していない分、蛍光灯のリプレースとしてのLEDは割高なのだけれども。

そういう意味では、長寿命で、低消費電力で、熱源にならないのだから国からLED交換キャンペーンと銘打って助成金が出ても良いと思う。

オフィスなんかは、熱がこもるしストレートタイプの蛍光灯がメインなんだから、全部リプレースした方がトータルコストが安くつく気がする。

内緒という行為

私は内緒にするという行為が嫌いだ。

なぜか。

それは、内緒にしているという状態が自分に負荷を与えるからだ。

つまりは、内緒にするという行為自体は、自分に不利益であると思っているからである。

でも、誰にでも何でも話せるわけではない。

普段、負荷を感じ続けているわけではない。

でも、ふと考えるとそういう状態にあると思えるのだ。

世間一般的に言うとメンドクサイ事を回避するために内緒にするのだろう。

だがしかし、私にとっては内緒にする事自体がメンドクサイ。

内緒にしなかった事で発生するメンドクサイ事なんて、きっと一過性のもので、過ぎてみればなんてこと無いのだ。

だから、私は内緒が嫌いなのだ。

教師の不祥事

教師の不祥事って、最近、やっとメディアが騒いでくれるようになっただけで、

昔からある事です。

むしろ、騒がれるという事は頻繁に起こらないから騒がれるようになった。

つまり、昔に比べて減っているのでは?とも思う。

まぁ、そう思うだけですが。