周りを幸せにするという事は、場合によっては都合の悪いことである

周りを幸せにしようと心がける事はすばらしい事だと思う。

だが、「周りを幸せにしよう」の意味次第では、全然すばらしく無いことだったりもする。

むしろ、善意なだけ性質が悪い。

例えば・・・

自分にとっての幸せはきっと誰にとっても幸せって事だ。

なんて思ってる人が猪突猛進とばかりに、周りをその信念で持ってして幸せにしようとする。

たまたま、周りに信念が一致する人ばかりがいればいいかもしれない。だが、大抵の場合、そんな訳はない。「自分」と「周りの人」は同じ人間では無いからだ。そういった場合、その「幸せにする」という行為が「周りの人」にとってはとても都合の悪いこと・・・率直に言えば、いい迷惑なのである。

では、「周りを幸せにしたい。」と考え行動するとき、どうすればいいのかといえば、「押しつけない。」または、「自分にとって嫌なことをしない。」ことが最初に行われるべきで、その後に周りのニーズ、つまり周りの人それぞれの幸せの定義を汲み取った上で、「周りを幸せにしたい。」という行動を起こせばよいのだ。

皮肉なことに、「幸せにする。幸せになる。」という事が至上の命題である団体が起こす「周りを幸せにしたい」という行動は、たいてい大迷惑だったりするわけで、「妄信も猛進も怖いものである。」といういい例になるのではないのだろうかと思うのである。

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